Drama
14 to 20 years old
2000 to 5000 words
Japanese
冷たい蛍光灯が照らす研究室。壁一面を埋め尽くす数式は、まるで生き物のようにうごめいている。奥の隅で、蒼白な顔をした少年、カイトは、数学の問題集に深く没頭していた。
カイトは、名門進学校に通う高校三年生。誰が見ても優秀だと認める成績を持つ。しかし、その内面は、脆く、傷つきやすいガラス細工のようだった。
放課後。カイトは、いつも同じカフェに立ち寄る。そこで待っているのは、同級生のサクラだ。サクラは、明るく、誰からも好かれる女の子。カイトにとって、サクラは、唯一の心の支えだった。
サクラは、カイトの隣に座ると、にっこりと微笑んだ。「カイト、今日も遅くまで頑張ってるね」。その声は、まるで依存という甘い蜜のようだった。
カイトは、サクラの顔を見つめた。「ああ…うん」。短い返事の中に、隠された感情が渦巻いている。
二人は、特に会話をするわけでもなく、ただ黙って時間を過ごす。カイトは、サクラが隣にいるだけで、心が落ち着いた。まるで、自分の存在意義を確認しているかのように。
「ねえ、カイト。大学はどこを受けるの?」サクラが、突然尋ねた。
カイトは、一瞬、言葉に詰まった。「ああ…えっと、数学者になりたいから、東大かな」。
サクラは、目を輝かせた。「すごい!やっぱりカイトは、天才だね!」その言葉は、カイトの心に深く突き刺さった。
(天才…?)カイトは、自嘲気味に微笑んだ。自分は、本当に天才なのだろうか。それとも、ただサクラの期待に応えようと必死になっているだけなのだろうか。
カイトは、小さい頃から、両親の期待を一身に背負ってきた。優秀な兄と比較され、常に一番でなければならないと教え込まれてきた。
しかし、本当は、数学が好きなのではなく、ただ両親を喜ばせたいだけなのかもしれない。サクラも同じだ。サクラに褒められたい、嫌われたくない。その一心で、必死に勉強しているだけなのかもしれない。
ある日、カイトは、カフェでサクラと会う前に、書店に立ち寄った。そこで、一冊の本が目に留まった。恋愛小説だった。
「恋愛って、どんなものなんだろう…」カイトは、好奇心に駆られて、本を手に取った。
本を読み進めるうちに、カイトは、自分の感情に疑問を抱き始めた。サクラに対する感情は、本当に恋愛なのだろうか。それとも、ただの依存なのだろうか。
サクラと初めて会ったのは、高校入学式の日のことだった。人見知りのカイトは、誰とも話すことができずにいた。そんな時、サクラが話しかけてくれた。
「一人ぼっち?よかったら、一緒に教室に行かない?」その時のサクラの笑顔が、カイトの凍りついた心を溶かした。
それ以来、カイトは、サクラにべったりと依存するようになった。サクラがいなければ、何もできない。サクラがいない世界なんて考えられない。そう思うようになっていった。
しかし、同時に、サクラに対する恋愛感情も芽生えていた。サクラの笑顔を見ると、胸がドキドキする。サクラと手をつなぐと、体の奥底から熱いものがこみ上げてくる。
カイトは、自分の感情がわからなくなってしまった。これは依存なのだろうか?それとも、恋愛なのだろうか?
その夜、カイトは、自室で一人、数学の問題を解いていた。しかし、頭の中は、サクラのことでいっぱいだった。集中することができない。
イライラしたカイトは、無意識のうちに、カッターナイフを手に取っていた。そして、自分の腕を切りつけた。自傷行為だった。
カイトは、自分の腕から血が流れ出るのを見て、我に返った。「何やってるんだ、俺は…」。
カイトは、自分の行為に自己嫌悪を感じた。しかし、同時に、解放感も感じていた。痛みによって、サクラのことを忘れられる気がした。
それからというもの、カイトは、度々自傷行為を繰り返すようになった。誰にも気づかれないように、巧妙に隠しながら。
ある日、サクラが、カイトの腕に包帯が巻かれているのを見つけた。「カイト、それ…どうしたの?」
カイトは、慌てて隠した。「ああ…階段で転んだだけだよ」。
サクラは、カイトの目をじっと見つめた。「嘘だ。本当のことを言って」。
カイトは、観念した。「…実は…」。そして、自傷行為のことを告白した。
サクラは、言葉を失った。「…どうして…そんなことを…」。
「わからないんだ。ただ、辛くて…苦しくて…」カイトは、涙ながらに訴えた。
サクラは、カイトを抱きしめた。「もう、そんなことしないで。私がいるじゃない」。
カイトは、サクラの温もりに触れ、さらに涙があふれ出した。「でも…サクラに依存してるのが辛いんだ…」。
「依存しててもいいんだよ。私が支えるから。一人で抱え込まないで」サクラは、優しく言った。
カイトは、サクラの言葉に救われた気がした。しかし、同時に、サクラにさらに依存してしまうのではないかという恐怖も感じた。
数日後、カイトは、サクラに告白した。「サクラが好きだ。ずっと一緒にいたい」。
サクラは、少し戸惑った。「…ありがとう。でも…私は、カイトのことを、友達としてしか見ていないの」。
サクラは、続けた。「カイトは、数学の才能があるんだから、もっと自分を大切にしてほしい。誰かに依存するのではなく、自分の力で生きていってほしい」。
カイトは、サクラの言葉を噛みしめた。サクラは、自分から依存を取り除こうとしているのではないか。自分のために、わざと冷たい言葉を言っているのではないか。
「わかった。ありがとう、サクラ」カイトは、涙をこらえて言った。
それから、カイトは、数学に没頭するようになった。サクラの言葉を胸に、自分の力で生きていくことを決意した。
最初は、辛かった。サクラがいないと、何もできない気がした。しかし、徐々に、数学の面白さに気づき始めた。
数学の問題を解くことは、まるでパズルを解くかのようだった。論理的に考え、様々な可能性を探っていく。その過程が、カイトを夢中にさせた。
そして、カイトは、数学を通して、自分自身と向き合うことができるようになった。自分の弱さ、強さ、希望、絶望。すべてを受け入れ、前に進むことができるようになった。
大学受験の日が近づいてきた。カイトは、落ち着いて試験に臨むことができた。サクラの言葉を思い出し、自分の力を信じた。
そして、見事、東大に合格した。合格発表の日、カイトは、サクラに電話をかけた。「合格したよ、サクラ。ありがとう」。
サクラは、心から喜んでくれた。「本当におめでとう!やっぱりカイトは、すごいね!」。
カイトは、感謝の気持ちを込めて言った。「サクラがいなかったら、今の俺はいなかったよ。ありがとう」。
その後、カイトは、数学者になるという夢を追い続け、世界的な数学者へと成長していった。
そして、サクラは、カイトの活躍を、陰ながら応援し続けた。二人の関係は、恋愛ではなかったかもしれない。しかし、かけがえのない友情で結ばれていた。
カイトは、自傷行為を二度と繰り返さなかった。サクラの言葉を胸に、自分の力で生きていくことを決意したからだ。そして、数学を通して、本当の自分を見つけることができたからだ。
歪んだ鏡像に映っていた自分は、もういない。そこには、数学を通して、強く、美しく輝く、一人の数学者の姿があった。